自分は今思い返すと、かなり運の良い人生を歩んできた気がする。
周囲の人には恵まれてきた気がするし、数年ごとに仕事上のチャンスが巡ってきた気がするし、よく思い返しても、悪くない人生を送ってきていると思っている。
しかし、それは一体いつ「悪くない」と判断できたのであろうか。
自分が何か人生の判断をした時、それは大きな判断であろうことは分かっていたとしても、それが「良い判断かどうか」というのはその場ではよく分からないことが多い。
大きければ大きいほど、良いか悪いかの判断材料も多く複雑になっていき、結局判断はできない状況に陥る。
ただ、一定の、切りの良いタイミングになってから振り返ると、そこには「あの判断は良かったのか」という過去への問いに対する、ある程度の明確な答えが見えていたりもする。
私の場合は、今までの人生の転機の数に対して、「その時の判断を良かったとできる回数」が結構多いということなのだと思われる。
その当時の私になって考えると、大抵大した理由もなく勢いで考えて行動していた記憶がある。
でも、今改めて考え直しても、その判断は大体「そうして良かったな」と思える方を選択できていたように感じる。
これは、よく考えるととても幸せなことではないだろうか。
過去を見て不満を言わずに済んでいること。
これは、もしかすると「現状に不満を言わずに済んでいること」よりも、実はもっと難しくて運のよい人生なのかもしれない。
そういう人生を、今までは歩いてこれたのだと思っている。
だとしたら、自分のこれからの人生は、一体どういう人生になるのだろう。
答えの出ない問い。いつか答えの出る問い。むしろ、「いつか答えを作る問い」とも言えるかもしれない。
それが、今自分が生きている、この人生のような気がする。