言葉は不思議だ。
現代において、言葉というものは、自身が持つ直接的な「意味」の他にも様々な「イメージ」を付加された状態で存在している。
たとえば「白」と「黒」という単語がある。
これは本来であればただの「色」の事を指して使われる言葉である。
しかし、別の場面では「白星」「黒星」といったように勝ち負けを表すのにも用いられている。
この言葉がどういう経緯で今の意味を持ったのか、私は知らない。
ただ、おそらく「勝った時は◯、負けた時は●を書く」のように、鉛筆で勝敗記録を付けていた時代に付加された「イメージ」なのではないかと予想することはできる。
このように、言葉は時代を追うにつれて新しい「イメージ」を付与され、自身の意味する範囲を広げながら使われていくもののようである。
ここでふと、私が去年下書きまでして投稿しなかった「おもしろい、が変わっていく。」というタイトルの記事を思い出した。
折角なのでこの中から一部を引用してみよう。
「おもしろい」という単語は色んな意味で使われますね。
ここでは例として、3つの使い方を挙げてみます。
お笑い番組を見て「おもしろい」と言う。これは、笑えるという意味のおもしろい。
クスっとした程度でも大爆笑でも、同じように「おもしろい」と表現されます。
基本的には、人を笑顔にさせるモノ・ヒト・コトを指し、この「おもしろい」を与えてくれる対象は、多くの人から好かれていることが多いです。
人の考えを聞いて「おもしろい」と言う。自分が持ち得なかった視点を提示された時、相手に対して発した場合です。
他人の意見に対して「おもしろい考えだね」と言う場合には、「気づかせてくれてありがとう」という、相手に対しての感謝や敬意の意味を含んでいたりします。
この使い方の場合、上記のような良い意味だけでなく、皮肉的なニュアンスを含ませ、反撃に出る一歩手前のジャブとして使われることもあります。
自分が「楽しい」と感じる行為を「おもしろい」と言う。何かをして楽しいと感じる時、それもおもしろいと表現したりもます。
ゲームがおもしろい。勉強がおもしろい。人生はおもしろい。「楽しい」は人間の感情を表す言葉であり、この場合の「おもしろい」は、「楽しさを与えてくれる物」に対してプラスの評価をする意味で使われます。
これらはただの言葉遊びにも見えるが、ここから「言葉の意味は時間の経過とともに変わっていくものだ」という学びも得られる。
なぜなら、遠い昔、日本の歴史の中で「おもしろい」という単語が生まれた時、最初から上記3つの全ての意味を網羅していたとは考えにくいからだ。
おそらく最初は上に挙げたうち、どれか1つの(もしくは、もう使われなくなった古い)意味で「おもしろい」という言葉が生まれた。その後、何年も何年も色んな人に使われてきた結果、異なるニュアンスを被せて使用されるようになり、結果として現在のような複数の意味を持つことになったのだろうと思われる。
つまり言葉とは「変化していくのが当然」であり、逆に言えば普遍的に1つの意味しか持たない単語を探す方が難しいのではないだろうか。
そういえば、インターネット上でよく使われる「言葉狩り」という表現がある。
これは誰かを批判する時に「物事の本質ではなく、言葉の使い方が誤っている点をを中心に攻めていく」という方法であり、それによって「全体として相手のことを悪く印象付ける」効果を得ることができる。
ただ、この「言葉狩り」を上記の学びに照らし合わせると不思議な事になる。
言葉は「変化するのが当然」だとするなら、言ってしまえば「『正しい意味』というものは誰も明確に定義できない」ということでもある。
にもかかわらず、言葉狩りにおいては「言葉の使い方が『誤っている』」という点が批判対象となる。
つまり批判者は「正しい言葉の意味」というものを定義し、その上で相手の言葉の使い方に対して「誤っている」と明言できているのだ。
これって実は、結構凄いことなのではないだろうか。