www3.nhk.or.jp
今、この記事がホッテントリに上がっていた。
私がこの記事を開いたのは、「週刊少年ジャンプ今週号(42号)の1ページ目で、このニュースが発表されてたな」と思い出したからだ。
www.fujitv.co.jp
そしてPCで はてなブックマークのコメントを何気なく見ていた所、関連商品欄には
歌手ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと - はてなキーワード
というリンクが表示されていた。
私は歌う事が非常に好きで、去年も歌に関する本を3冊くらい買っている。
そして「もっと情報を得たい」という思いが沸いたため、この本についてとても興味を持ち、とりあえずリンクをクリックした。
その勢いでamazonのページへ飛ぶかと思われたが、ここでふと「この本は、"今"必要な本ではないな」と思いとどまり、リンクを辿るのを止めた。
ただ、その時には興味が「本」という大きな枠に向いていて、「そういえば一昨日、『ミライを変えるモノづくりベンチャーのはじめ方』」について記事を書いた事を思い出した。
www.masaoblue.com
そうすると今度は、「この記事は『はてなキーワード』で検索に出てくるのだろうか?という所に気が向き、本のタイトルを検索しようと動き始める。
でもその時、タイトルを手入力したため、誤って「ミライをつくる モノづくり」と打ち込んでしまった。
するとなんと、検索結果に現れたのは「旅する生クルミ 300g」という商品だ。
私はこの情報を見てビビっと来た。
タイトルと画像から察するに、子供向けの絵本のように見えた。
「そんな絵本があるのか!めっちゃ読んでみたい!!!」と興奮しながら勢いよく商品ページへ飛ぶ。
するとどうだ。
www.amazon.co.jp
「そんな絵本が」という認識のは私の早とちりだった。
この商品は絵本ではなく、ただの「300gで1289円の高級クルミの通販」だ。
そして私は今、別にクルミを食べたい気分ではない。
そう思った時、ふと、今までの自分の行動に目が向いた。
このページに辿り着いたのは「タイトルを誤入力したから」であり、その前には「記事を書いた記憶」や「必要でもない本への興味」があり、もっと遡ると「去年本を買った記憶」や「今週のジャンプで読んだ記憶」などがあった。
ここには「よく分からない情報の繋がり」が存在する。
情報の繋がりとは、人間が意図的に付与する「タグ」や「関連情報」のようなものだけでなく、このように恣意的な「よく分からない繋がり」も非常に多い。
むしろ、この恣意的な繋がりこそが情報の本質であり、人間は常に「なんとなく」で世界を見ているようにも感じる。
そしてこの「なんとなく」は現在のコンピューターの最も苦手とする分野だ。
世の中を見渡せば、この「なんとなく」を実現するために様々な研究が重ねられている。
レジ無しスーパーで注目されたAmazon Goでは、人間の「なんとなく同じ商品だと分かる」を再現するために画像認識が使われる。
IM2CADでは「なんとなくどこが奥か分かる」を実現させ、2Dの写真から3Dデータを抽出しようとしている。
そして最終的には「なんとなく色んな場面に対応できる汎用的な人工知能」に繋がっていく。
人間の「なんとなく」とはどこから来るのだろうか。
朝からそんなことを考えていた。