タイトルは「だんだんそうなってきた」という意味であって、やっぱり嫌いな人も居るし嫌だなと思う相手もいる。
でも、その「嫌いだ」「嫌だ」という感情より、もっと大きな割合を「この人はなぜこのような状態になったのだろう」という疑問・好奇心が占めるようになってきていて、それ故に嫌悪の感情が相対的に低くなっているのかもしれない。
それを感じたのは今日の帰り道、満員電車に乗った時だ。
私はかれこれ8年ほど毎日満員電車に乗っていることもあり、最近はもうどんなに詰め込まれようと「押し込まれる」とか「潰される」と感じることはなく、ただ「並んでる人全員乗れたかな」と心配しながら延々スマホをいじるか本を読んでいる。
ただ今日は、私の前に乗っていたお兄さんに目が留まった。
彼は私に背中を向けて立っており、その時の表情は見えていない。
しかし、彼が不機嫌そうにしていることは分かった。
何故かと言うと、電車のドアが開いて以降、彼がしきりに「チッ」と舌打ちを鳴らしていたからだ。
最初は聞き間違いかと思ったが、どうやら何かに苛立っており、時々怒りのような独り言を発しては舌打ちを繰り返している。
その状況で、もちろん最初は「この人怖いな」と感じたし「こんな近くに居て大丈夫だろうか」と自分の身を案じてみたりもした。
少し前までの自分なら、「なんだコイツ、電車の中で舌打ちしてんじゃねーよ」と脳内でキレていた所だと思う。
でも今日は違った。
私はまず「この人はなぜ怒っているのだろう」と考え始め、例えば何が起きたのか妄想を始めた。
- もしかして、彼女に振られた直後かな
- 突然会社からクビを言い渡されたのかもしれない
- 病院に行ったら余命宣告をされたとか
- 仕事が忙しくて子育に参加できず、奥さんにひどい言葉をかけられたのかも
- お腹が痛いのに早く帰らなきゃいけず、無理して満員電車に乗ってるのかな
- 単純に暑くて苦しいだけなんだろうか
人が怒る理由には様々なものがあり、小さな(と人から見える)理由で怒る人は「沸点が低い」と言われたりする。
でも「沸点が高い」「沸点が低い」という言葉が日常的に使われるということは、つまりどちらに寄っていたとしても「大体普通」という事だと思う。
だから、もし目の前のお兄さんがどんな理由で不機嫌なのだとしても、それは「大体普通」なのである。
じゃあここで視点を戻してみると、今の自分は「怒り」を感じているだろうか。
いや、そんなことはない。
このお兄さんは「大体普通」な状況にある。
むしろ色々な状況を想像するうちに、お兄さんに同情心すら芽生えてきた。
そう考えると、お兄さんからしてみれば「9割方間違っている理由で同情されている」のだからそっちの方が迷惑なのかもしれない。
やっぱり、よく知りもしないこの人の行為を否定することは、自分にはできない。
つまり、最近は妄想が良く捗る季節ですね、という事なのだ。
出張で少し田舎の電車に乗っている時、田んぼの間に建っているボロアパートを見て「建設当初はピカピカだったんだろうな」とか「昔、若い夫婦が夢と希望を持ちながらマイホームを購入したんだろうな」とか「今はどんな人が住んでいるのか、もしかして所有者の決まっていない空き家だったり、もしくは相続された息子が持て余している状態なのかな」とか、色々考える。
そうすると今現状この瞬間にしか存在しない「ちょっとした嫌悪感」のような感情はどうでも良いものに変わり、今日も私の周りは平和で芳翠園の水出しほうじ茶が非常に美味しいという事実だけが残るのであった。
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