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最近やっと、自分の感想を書けるようになってきた。
昔と違い、少しずつでも、自分の考えを言葉にできている。
私は成長している。
と思った矢先、そこに落ちてきたのは、村紗カイ氏のこの記事だった。
言葉にできない
この人のブログには、物事の本質がたくさん書かれている。
その中の記事は、私にいつも多くの問いを投げかけてくる。
私は上の記事を読んで、いつも通りの安定した面白さを感じていた。
そこまでは、良かった。
いつもと違ったのは、この記事をブックマークしようとした時のことだ。
・・・
・・・・・・?
・・・・・・あれ?
・・・言葉が、出てこない。
・・・どうした?
昨日はノリに乗って30記事をブックマークした私だ。
いつもならほとんどの記事で1~2分、遅くても5分あれば、はてブの上限100文字を埋め尽くすために何らかの言葉が湧いてくる。
なのにどうして、この記事には感想が書けない?
必死になって悩み、ノートを1ページ埋め尽くして考えてみても、自分の意見は一向にまとまらない。
結局、コメントに残せたのは「わからない」という旨の言葉だけだった。
私にとって、挑戦とは、何だ?
どうして言葉にできないのか
言葉にできないのは、「理解していないこと」。
そう言ったのは昨日の私だ。
この言葉は確かに私の本心だが、それはつまり、私が「挑戦を理解していない」ということを表している。
挑戦することを知らない自分のままで、本当に良いのだろうか。
思い返せば私は、このところずっと「目標が決められない」と言い続けてきた。
だから、せめて10分ずつでも続けようとしたり、気を紛らわすために楽しく生きる方法を考えたりしつつ、ブログの更新だけはどうにか続けている状態だった。
これは、何かに挑戦できているだろうか。
そもそも、「挑戦」とは何だっただろうか?
私の知っている挑戦とは、
自分が今まで出来なかったことに、挑み、戦うことだ。
そう。
そうだ。
それは言葉の上ではわかっている。
しかしそう考えた時、私は今、何かに挑もうとしているだろうか。
私はこの先、自分の中の壁と対峙した時、それと戦う道を選べるのだろうか。
ここまで考えた時、私はもう何年もずっと「挑戦していない」ことに気がついた。
私が目標を決められなかったのは、壁を見つけるのが怖かったからだ。
でも、もし今何もしなければ、この後もだらだらと1つの会社で仕事をして、ただのしがないサラリーマンとして人生を終えることになるのだろう。
このまま過ごして、本当に大丈夫だろうか?
多分、大丈夫じゃない。
このままじゃ絶対に、大丈夫じゃない。
だから、自分で変えるしかない。
目標を、決めろ。
考えることを身に付けると、自分が今まで、色んなものから逃げてきていた事実に気がつくようになった。
逃げずに挑戦する自分になりたいなら、やはり目標を立てることが必要だ。
次の記事では、私が今年やることを10個決め、それを記録しておくことにする。
もう4月も終わりだって?
知ってるさ。
だから、今日始めるんだ。
考えを改めさせてくれた村紗カイ氏には、感謝の言葉しかない。
本当に、ありがとうございます。
(これはもちろん一方的な意見だが、それもまた、はてなの醍醐味だ。)