Photo via Visual Hunt
最近の私は、考えている。
以前の私は、考えていなかった。
この差は、私が思っているよりもずっと大きいことだったのだ。
今回は感覚派の私の経験を元に、人生を感覚だけで生きてきた人が論理的に考えることを覚えるメリットについて書いていく。
目次
1.論理派と感覚派を定義する
最初に、「感覚派」と「論理派」というタイプの違いについて。
今回は2つのタイプを『自分が行動した理由を説明できるかどうか』で判断する。
自分の生活を振り返った時、①行動の理由を説明できないなら感覚派、②ほとんど説明できるなら論理派だ。
①感覚派の例(私)
私が自分のことを「感覚派」だと明言するのは、自分の経験を振り返ったとき、過去に考えたことをほとんど覚えていないからだ。
例えば私は、会社に入って5年間、毎日のように会社でプログラムを書いてきた。
にもかかわらず、ある時他人から「プログラムをした中で学んだことは何?」とか「どんなこと考えて書いてる?」と質問されると、言葉に詰まった。
普段は感覚で書いているから、その時考えていたことなんて覚えていない。
結局、出せた言葉は「思ったように書いてます」だけだった。
私のように自分の行動を説明できないことが多いなら、あなたは「感覚派」だ。
②論理派の例(私の嫁)
対する論理派は、自分が行動する時、論理的な考えを持っている人間のこと。
私の嫁は趣味で絵を描いているが、描いた絵を見て「なぜこの線を描いたのか」、「ここはなぜこの色に塗ったのか」という理由をほとんど説明できるらしい。
それはつまり、頭の中で論理的に考え、行動に対する理由付けを行った上で、それをちゃんと覚えているということになる。
このように、自分の行動の理由を説明できる人は「論理派」に分類する。
※この記事は感覚派に向けた文章であり、既に"論理的に考えること"を身につけている人にとっては当たり前な内容がほとんどだ。
【補足】
もちろん、論理が得意な感覚派も居れば、感覚の鋭い論理派の人もいる。
論理と感覚は共存するものであり、だからこそ今回は「過去のことを説明できるかどうか」を指標とする。
2.感覚派の問題点
さて、私は感覚派だった訳だが、常に感覚で生きることには大きな問題がある。
それは効率が悪く、失敗も感覚でしか解決できないという点だ。
問題点1:感覚派は、効率が悪い
感覚派の人間が普段、あまり考えずに生活できるのは、「やってれば感覚で身につくから、大丈夫」という楽観的な思い込みが根底にある。
実際私は、仕事を進める上で「なぜそのやり方でやるのか」とか「なぜそれをやっているのか」といった理由を意識していなかった。だから、どうやったらもっと効率よくできるか考えたり、そのためにやり方を選ぶこともしなかった。
仕事をゲームだとするなら「敵を沢山倒せばレベルが上がる」というやり方しか知らない状態。そして近くにはぐれメタルが居ても気づかず、スライムを1万匹倒してレベルを上げようとする。
これでは効率が悪いのも当然だ。
問題点2:感覚派は、失敗も感覚でしか解決できない
感覚派は自分の行動を説明できない。それはつまり、自分が何かに失敗しても、なぜ失敗したのか具体的な理由がわからないということになる。
例えば作業の計画を立てる時、「きっとこんなもんだろ」と感覚で考え、そこには明確な理由がほとんど無い。だから当然曖昧なスケジュールになり、実際とは大きくズレることが多い上、後で振り返ってもなぜズレたのか分からない。
すると結局、「次はもっと頑張る」という感覚的な解決方法しか思いつかず、次の仕事でもその次の仕事でも同じことを繰り返してしまう。
このように、自分が言葉で指摘できない問題を改善するのは非常に難しい。 言葉にできないのは、理解できていないことなのだ。
特に現代の「使える道具がとても多い環境」において、自分自身の問題や改善点を理解していないと何が使えるのかも判断できない。これは生きる上でかなり損をしていることになる。
私は会社に入って数年働いた後で、ようやくこれらの事実に気がついた。
3.私が論理的に考え始めた効果
ここまで問題点ばかりを書いてきたが、だからこそ、感覚派が論理的に考えられるようになるメリットはこの上なく大きい。
以下では、少しずつ考えるようになった私が実際に得た効果を挙げていく。
効果1:"話を広げる能力"が向上した
私は考えるようになってから、1つの話題で話し続けられる時間が長くなった。
誰かと話をする時、相手の話題に対する自分の意見を出しやすくなり、過去に自分が聞いた話から関連する情報を取り出せるようにもなってきたのだ。
巷では「人の話を聞き、そこから連想して質問する力が重要」などと言われるが、そのためには自分の頭の中で理解し、考える力が不可欠である。
最近「前よりよく喋るようになったね」と言われたが、これは考えることが当たり前になってきたからだ。
効果2:日々の生活でも"考えて"行動できる
私は今まで、仕事のメールや資料作りなどを通して文字を書いてきた。それでも最初のうち、ブログでまとまった文章が書けなかったのは、文章を感覚で書いていたからというのが大きい。
考えるクセをつけると、普段の行動も考えて行うようになる。
最近はブログを書く時に「なぜその章立てにしたのか」や「なぜその言葉を選んだのか」といった理由を少しずつ意識できるようになってきた。
今、この記事を書けているのも、考える力が少しは身につけたおかげだ。
効果3:過去の体験を思い出せる
意外なことに、考えることを身に付けると、その効果は過去の体験にも及ぶ。
例えば私は嫁と話しているとき、こんな感じで「相手に状況を教えてもらって、曖昧な記憶を思い出す」ことがとても多い。
【例】
嫁「渋谷で居酒屋に入った時、面白い店員がいたの覚えてる?」
私「ああ、あったかもしれない。」
これはどういう状態かというと、嫁も私も「何かを見たことは覚えている」が、嫁は自分で記憶を引き出しているのに対し、私は言われた状況をトリガーにやっと引っ張り出せる状態、ということだ。
つまり、感覚派の脳は「情報を覚えていない」のではなく「覚えた情報を思い出すのがヘタ」な状態にある。とすれば、感覚派の脳内には引き出せていない情報が沢山眠っていることになる。
だからこそ、感覚派が論理を身につけると使える情報量が格段に増えるため、その効果は非常に大きいのだ。
私のブログで言うなら、今までずっと何となく怖いと思っていたドローンの記事や、日常生活でイライラした時のことを書いた記事は、自分が考えたことを思い出せるようになった、1つの成果である。
4.論理的に考えるための方法
論理的に考えるための方法はいろいろあるが、ここでは私が実践していて、かつ一番身近で始めやすいメモすることを中心に紹介する。
メモをとって"記録する"
先に述べたように、感覚派の問題は自分の考えを覚えていないところにある。これを解決するのに一番簡単なのは、脳以外の場所に記録しておくことだ。
常にメモ帳を持っておいたり、スマホのメモ用アプリを用意する。はてなユーザーなら、ブックマークコメントでも良い。
これらを使って「ふと疑問に思ったこと」や「何となく気になったこと」を記録しておくだけで、後から自分の考えを思い出すのが格段に楽になる。
記録するのは1つの単語だけでも良い。メリット3でも挙げた通り、感覚派に足りないのは記憶力ではなく、それを引き出すトリガーだ。
メモを使って"考える"
記録は大事だが、残念ながら書き留めるだけで効果はない。
論理を身に付けるには、メモを使って考えることが必要だ。
ここでいう「考える」とは「言葉にすること」であり、次のような方法が使える。
- メモした内容を「人に説明する」
- メモした内容で「ブログを書く」
- メモを見ながら「自分の日記を書く」
自分の思いを人に伝えたり、文章にする時には、メモ以上の論理性が必要になる。
そのためにも普段からメモをとり、自分で考えるクセをつけて「いつでも考えられる状態」を作っていくと良い。
さいごに
感覚に頼っていると論理は見えない。しかし前半で述べた通り、論理と感覚は相反するものではなく、共存できる考え方だ。
感覚派が論理を覚えると、自分の感覚を論理的に理解できるようになる。それはつまり、成長する方法を自分で考えられるということでもある。感覚を捨てるのではなく、感覚をサポートするために論理を身につけると表現した方が正しい。
私のように感覚で生きてきて、感覚派であることを認めながらも改善できなかった人が居るなら、まずはメモを取り始めてほしい。そして自分で考え、論理を組み立てるのに慣れ、自分の武器を増やすことにつながれば幸いだ。
まだ「考えること」を覚えたばかりの私だが、最近色々な変化を感じていたので、現時点での結果報告も兼ねてこの記事を書いておくことにした。
以上、感覚派で悩み、損をしている全ての人達へ。
関連しそうな本
『考える』ための法則を知りたい場合、この本は入門書としてオススメです。