この間、JRの駅で見た小学生。
ホームから改札に向かうエレベーターが全然来なくて、イライラしていたんだろう。
友達も一緒にいる横で、エレベーターのドアをガツンと蹴って一言
『おっせーなぁ!』
私の脳内
そんな光景を見て、私はふと、無意識に考えた。
『最近の若い子はほんとにもう・・・』
そして瞬間ハッとして、次の瞬間ゾッとした。
ついに私も、こう考えるようになってしまったのか。
27歳の老害野郎
まさにあの瞬間、私は間違いなく老害になった。
老害。
ごく一部の若い子の行動や、自分が若かった頃の経験が全てに当てはまると考え『最近の若い子はキレやすい』とか『根性がない』などと極度に一般化した結論に持って行き、それが正しいと信じて止まないまま社会を動かそうとする大人。
今回は運よく一瞬で(それも自分で)気づけたことで大事には至らなかったが、あのまま進んでいたら大変なことになっていた。
この間違いを再度犯さないように、今回の事象を整理していく。
何が起きていたのか
あの男の子の行動は、少なくとも人間社会において『良くないこと』であったのは確かだ。まだそんなに力も強くないから器物破損には至らなかったが、この先も同じことを続けるようだとその可能性は増える。
そして『小さなことにイライラし、すぐにキレて物に当たる』というのは何の解決にもならないし、周囲を不安にさせるだけの意味のない行為だ。
私の思考回路の問題
しかし、これはあくまで『1人の小学生の男の子がエレベーターのドアを蹴ってキレていた』という事実であり、どんなに頑張っても普通は『若い子全体』に波及するような考えは得られないはずだ。
にも関わらず、それを見た瞬間の私の脳は「最近の若い子は短い階段も降りずにエレベーターを待ち、その上遅いとキレてしまうんだな」という『一般的な若い子に対する結論』を導き出した。それも一瞬で。
これは私が普段何も考えずに一般化思考している証拠であり、このような考えはほぼ確実に良くないことを引き起こす。
もし私がこの考えを正しいと思って生きていたら、今後どんなに素直で賢い子と接する時でも、相手が「若い子である」というだけで『どうせすぐキレるんだろ』という固定概念が頭をよぎるのだ。
過剰な一般化がもたらす危険思想
世の中にある「差別」や「偏見」といった偏った考えは、ほとんどがこのような過剰な一般化から来ているものである。
『あの人は私達より能力が劣っているから、あの人種は私達より下の人種だ!』という考えから差別が始まり、『公務員は私と比べて給与を貰い過ぎだから、公務員全体の給料を下げろ!』なんて意味のわからない偏見攻撃が生まれる。
最近流行りの、外国と日本の比較記事にしてもそうだ。
そんな記事は大概『外国人では○○だったけど日本人は××だ!』という流れで日本人を批判するが、そういった記事の多くは数人の外国人と日本人全体を比べている。
それは本当に外国では当たり前で、日本ではほとんどやってない内容なのか?
もしあなたが、そこまで掘り下げもせずに適当な批判を繰り返しているのなら、最終的には老害まっしぐらのクソ思考だからやめた方が良い。
そして私はまさにこのクソ思考に陥った。
気づいたからにはここで間違いを全て吐き出し、今後はその考えを変えていかなければならない。
じゃあ、私が見たのは何だったのか
あの男の子の行動は何を表していたのだろうか。
近年ニュースでよく言われる通り、若いうちからゲームに没頭した結果、キレやすい人間に育ってしまったのか?
それともただ単に、あの日学校で嫌なことがあってイライラしていただけなのか?
あるいは今現在、社会全体が荒んでいて、子供から大人までストレスの多い社会になってしまっているのか?
このように人間の行動1つ取っても、それがどのような原因から来ているのか、色々な視点から検討しないと正しい結論は出せない。
だとすると、あの時私が見たものは、ただの『あの瞬間に起きた事実』であり、今の私が確信して良いのはそれだけでしかない。
本当の結論は、そこから自分で考えて検証した結果、確証できたものだけに絞るべきである。
今後も私の中の老害が顔を出した際には、再度ここで考えを巡らせることにする。