皆さんは『シンギュラリティ』という言葉を知っていますか?
wikipediaから引用すると、以下のような事象のことです。
テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうような、来るべき未来のこと。人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事と説明されることも少なくない。
少し偏った言葉で表すなら、人工知能(等のテクノロジー)が進化し過ぎた結果、人間の脳で理解できないレベルに達して発生する事象。
未知の世界、というよりも人間にとって認識不能な世界の始まり。
今回はそんなシンギュラリティと、保険や年金といったライフプランとしてのお金の話について考えていきます。
はじめに
この記事は、私の個人的な考えを書き出したものです。
私は保険や年金についてあまり詳しくはないですし、IT業界の今後もを占う立場にもありません。
以降はこの点をご理解の上、お進みください。
シンギュラリティについて
シンギュラリティは「来るべき未来」と言われていますが、現時点でその様子を描くことはできません。(何しろ、認識不能な世界ですので。)
その姿は人工知能の進化の先にあるかもしれませんし、人体に高機能な機械が埋め込まれた結果起こることかもしれません。
この記事では、そんなシンギュラリティ後の世界を『人間が、自分が生きているか死んでいるかも認識できない状態である』と捉え、その前提の元に話を進めます。
シンギュラリティは来るか来ないか
未来では、自分が生きているかどうかも認識できない世界が広がっている。
そしてそこに到達する瞬間『シンギュラリティ』。
この瞬間は、本当に来るのでしょうか。
結論から言えば、確実に来ます。
今でさえコンピューターは私達の予想を軽々と超えてくる中で、機械で作られた『知能』が人間の認識を超えるのは、いわば当たり前のことです。
人類全員が一斉に進化を止め、過去の研究を全て捨て去り、全ての知を放棄するのであれば別ですが、恐らくそうはならないでしょう。
だとすると、遅かれ早かれ『来る』というのは変わらない事実です。
シンギュラリティはいつ来るか
過去の偉い人の予想
再度wikipediaの引用ですが、今から11年前、ある予想が立てられました。
カーツワイルは特異点が21世紀末までに起きると確信しており、その時期を2045年としている(カーツワイル、2005年)。
カーツワイルが想定する2045年の技術的特異点を「コンピューターの知性が人間を超えること」とする報道が一部メディアで見られるが、カーツワイルはコンピューターの知性が人間を超える時期を2029年と予想しており、誤解である。
要するに、コンピューターの知性が人間を超えるのは2029年、その後一定期間が経過して人間が理解できない社会になるのが2045年、という内容です。
この予想が正しければ、シンギュラリティまでの猶予はあと30年もありません。
これは世の中全ての人間が認識しておくべき、とても重要な事実です。
私の予想
ただ、事実は中々に非情なもの。
ドラえもんを書いた藤子不二雄はテレビとレコードとカメラが一緒になった箱を22世紀の世界として描き、当時の人間はそれを夢のようだと感じていました。
アニメPSYCO-PASSに登場するドミネーターも、その出現から数年でリアルの世界に姿を表しています。(さすがに、殺人の機能は付いてないようですが)
そしてつい先日、一部の人工知能は、あと10年かかると言われた囲碁のプロとの勝負にさえ勝ち越しました。
こういった事実からも分かる通り、人間の考える「未来」というのは『その時点で想像できた範囲』に過ぎないもの。
だとすれば、もう十年以上も前に予想されたシンギュラリティが人間の理解を超えるほど早く訪れても、何ら不思議ではありません。
更に、最近は技術の一般化が凄すぎます。
世の中の素晴らしいコードの大半はオープンソースとして公開され、様々な専門技術を一般人がタダで扱える時代になってきました。
そしてファブラボやDMM.makeに見られるように、その光景は電子的なモノだけでなく物理的なモノにまで及んでいます。
このように技術に触れる人数が増えると、技術同士が相互作用を起こしやすくなり、結果として技術進化が加速度的に速くなります。
先のカーツワイルも、まさかこんなに早く人工知能がオープンソース化されるとは思っていなかったでしょう。
これらを踏まえ、私は2045年より前にシンギュラリティが来ると予想します。
シンギュラリティと年金
年金っていつ貰えるの?
話は変わりますが、皆さんは何歳から年金を貰えるかご存知でしょうか。
参考までに私は、現在27歳。
今のままだと65歳から受給できる予定です。
ただこれは『今後数年で定年の人たち』がそうであるだけで、今後は70歳に後ろ倒しにする話もあったり、それに合わせて定年も65歳に延伸されています。
これは何を表しているでしょうか。
一つは日本人の健康寿命が伸び、60歳はまだまだ働ける年齢だということ。
そして若い世代の割合が減って高齢者が増えた事で、早いうちから年金を渡せる程お金に余裕が無いということです。
私としては、年金が貰えるのはあと40年以上は後だと思っています。
それ、シンギュラリティとどっちが先?(笑)
このように『年金生活』というのは、私やもっと若い世代にとって非常に遠い未来の話になっている中、シンギュラリティはあと30年以内にやってきます。
だとすれば、私達が年金を貰うのはどう考えてもシンギュラリティの後です。
そして落ち着いて想像してください。
シンギュラリティ後、もしくはその直前の機械や人工知能が非常に発達した世界で、果たして年金は必要でしょうか。
機械のメンテナンスは自動で行われ、食材の栽培・飼育から調理まで家庭ロボット一台で済む時代が来た時、食にお金をかける価値はあるでしょうか。
若いうちに沢山遊ぶためのお金は必要かもしれませんが、老後のゆったりした生活にどれだけのお金が必要でしょうか・・・
こう考えていくと、未来の生活に『絶対に必要そうなお金』というのは、あったとしても家賃(他人からの借り物)や光熱費(公共物に払う)くらいです。
という訳で私は『年齢的に年金が貰えるより前に、機械のおかげで年金が必要なくなるんじゃないの?』と考えています。
いやマジで。
将来の自分のために納めている年金なのに、貰う時にはあまり意味が無い。
これっておかしな話ですよね。
シンギュラリティと生命保険
年金の話をしたなら、合わせて考えるのは生命保険のこと。
最近は『日本人は生命保険に金をかけ過ぎ』と言われ、保険は最低限にすべきという考えが多い一方、財形貯蓄など老後の資金作りに関する話題が増えています。
確かに日本には「入って損する保険」も多く、慎重に判断しないといけません。
ただ私としては、生命保険は(少なくとも、老後のお金作りに比べれば)有用だと考えています。
保険が必要になる可能性
皆さんにとって、『近いうちに自分や身の回りの人間に不幸が起きる可能性』はどれくらいあるでしょうか?
厚生労働省の過去のデータを参考にすると、たとえば私の世代(25~29)の死亡率は10万人につき約50人なので、2000人に1人が死亡している計算です。
これは宝くじの当選確率よりよっぽど高く、この抽選は毎年行われます。
しかも上の数字は死亡者だけなので、病気や重度障害なども含めて考えれば、自分が当たる確率はそんなに低くありません。
だとしたら、近い将来『生命保険に入っておいて良かった』と思う可能性は結構高いことになります。(もちろん、必要な時に必要なお金を貰える保険だとして。)
シンギュラリティの発生も考慮する時代
それに対し、定年前にシンギュラリティを突破する私達にとって『老後の資金』が必要となる確率はどれくらいでしょうか。
先にも述べたような世界になった時、老後のお金はほとんど必要なくなっているんじゃないでしょうか。
この状況を考慮した上で、老後の生活資金としてお金を貯めるのと、そのお金を生命保険に回して直近の問題に備えるのは、どちらが現実的な行動でしょうか。
私はもちろん直近の話の方が心配なので、医療や死亡保障がしっかりした生命保険に加入しています。
そして残念ながら、貯金はほとんどありません。
おわりに
ここまで、来るべき未来とお金の関係について考えてみました。
シンギュラリティはあまり遠い話ではなく、あと30年以上は働かないといけない私達の世代にとって、働き続けたまま人生が終わるかもしれないというのはご理解いただけたでしょうか。(生死すら認識できなくなる、という意味で。)
こんな現代において、老後を含めた『長期的なライフプラン』というものは、もはやそれ自体が現実的ではないとさえ言えます。
では最後に皆さんに聞きたい。
あなたのライフプランに、シンギュラリティの予定は入っていますか?