まさおまっさお

おいまさおがんばれまさお

     

「キレイである」の定義

昨年末から、我が家では「居間の机の上をキレイに保つ活動」が始まった。


きっかけは単純で、私と嫁はどちらかといえばズボラであり、気づくと机の上に食器やゴミが置きっぱなしになってしまっていて、年末に何度か友人を家に招いた際に、週末になる度に急いで掃除することが続いてしまったからである。


上記の活動自体は私の独断で、特に嫁との合意もなく始まったのだが、なぜかそこそこに上手く行っている気がしたので状況を記録しておくことにした。

「キレイにする」とはどういうことか

この活動は最初に、なんとなく問題に気づいた私が机の上をこまめに片付けるようになり、それに気づいた嫁も自然と協力してくれたことによって成り立つようになった。


改めて考えると、この時私と嫁との間には重要な暗黙の了解があった。


例えば現状の机の上を見ると、少量のおかしや箱ティッシュ、そして醤油などの調味料が置かれていて、机の天板の4分の1程度は隠れてしまっている。一見するとこれらは不要なものであり、「存在しない方が机の上はキレイである」と言われればその意見は正しく、活動は失敗しているようにも思える。


ただ、これらが本当に「今、机の上にあるべきではないものか」と考えると、少し見方が変わってくる。


例えばティッシュは食事中などに頻繁に使用するものであり、私と嫁の両方の手が届く所にあるのが望ましい。そのため大抵は机の中央付近に置かれていることが多く、従って常に机の上に存在していた方が2人にとって便利である。


おかしはどこかに片付けるべきかもしれないが、今出ているおかしは賞味期限がそこそこ近く、棚に片付けると恐らく賞味期限が数ヶ月切れるまで見向きもされなくなる可能性が高い。だからあえて机の上に置いておくことにより、食品ロスを減らした方が世の中のためである。


醤油などの調味料も同じで、我が家は味の濃いものが好みであり、お惣菜などを買ってきたら醤油や塩などを少し加えて食べることが多いため、例えどこかに避けた所で次の夕飯の時にはまた卓上に戻す必要があり、移動させる手間と机の上のスペースを天秤にかけると常に机の上に置いておいた方が効率が良い。


このように、今の我が家の机の上にあるもの達は何らかの理由を持ってそこに置かれており、理由があるのだから片付ける必要は無い。


逆に理由無く放置されている食べ終わったおかしの袋や、使い終わった食器があればできるだけ速やかに片付ける、というのが今回の活動のキモであり、我が家の居間の机における「キレイにする」というのは「ここにある理由が無いものを片付ける」という事だったらしい。

おわり

深く意識せずやってきた活動であっても、言葉にしてみるとそこそこの根拠と秩序が存在していたことが分かった。


今回は家庭内の話だったため特に問題は起きなかったが、他人と行動を共にする仕事の場であれば、前提とする意識のズレによって微妙な認識の齟齬が生まれ、コミュニケーションが上手くいかないことも多い。


その場合、お互いの持つ無意識の認識を言葉にして並べてみることができれば、少なくともどこが問題であるのかが明確になって対策が立てやすくなるのではないか、などと思ったりした。

自分が気分屋であることを自覚する

気分屋とは - Weblio辞書
きぶん‐や【気分屋】
その時々の気分によって、言動が変わりやすい人。気まぐれな人。


わかる。

先週と今週で見ても、自分のやる気には大きな違いがある。先週はダラダラとゲームをしていたい気分だったし、正直勉強とか成長とかどうでも良いなと考えていた。
それに比べて今週は、もう少し勉強する時間を取るにはどうすれば良いか、今所属している会社をより良くするにはどうするか、などといった事に興味を持ち、本を読んでいる。

その時々でやりたいことを並べれば沢山見つかるのだけど、実際の自分が行動できる時間やタイミングというのはかなり限られていて、それを上手く予測したりコントロールしたりしながら進んでいく必要があるように感じる。

自分のこの後を予測できるものにするために必要そうな事

  • 目的を置き、そこに向かって動くこと
    • 最終的に何をしたいのかが分かっている時は、ある程度自律的に動ける。ただし目的も気分でブレることが多く、それを意図的に定義するのはあまり得意ではない。
    • 自分の今の気分から、目的を置くことは可能かもしれない。
  • 明確に、かつ短期的にやりたいことが見えていて、それを邪魔するイベントが少ない状況を作る
    • 長期的な目標を立てるのは苦手で、そもそも目的を立ててみても途中で変わったり、自分の中での重要度が下がることも多いと自覚している。
    • 自分のやる気があっても周囲からの割り込みイベントが多い場合はそちらに引っ張られて集中できなくなるため、できる範囲で事前に調整できると良い。

一旦は月~火曜あたりにやりたいことがなんとなく見えている。ただし明文化はできていないので、今から少しの時間を使って目的について考えた上で行動してみよう。

3時間で目が覚めた

最近休日の朝は結構早く起きてしまうことが多い。
でもさすがに、3時間しか寝られていないと圧倒的寝不足感がある。

とはいえ目覚めてしまったのだから仕方なく、とりあえず布団から出て最近マイブームが落ち着きつつあるからだ巡茶を飲んだ後、この土日にやろうと思っていたことについて考え出した。

この前Tesseractを使ってIIDXのリザルト画面の画像から数字検出しようとしたけど失敗した(実用に足るほど精度が出なかった)ので、精度を上げる方法について考えたい。
具体的には、LSTMのFine Tuningを使って配布されているモデルに再学習を行わせて、実用化できる程度の認識率を出せないか試してみたい。
Tesseract 4.1にLSTMを使って日本語を再学習させる - Qiita

あとはこの記事でもあるように、オプションを調整することで認識率を改善できないか考える。
Python, Tesseractでゲーム画面から情報を読み取る

スマホカメラで撮影した画像だと難易度が高いけど、ライン撮りしたACの動画であればpx単位でどこが数値表示の範囲なのか指定できるので、条件を絞った上での認識ならチャンスはある気がする。

せっかく早起きしたので色々調べてみよう。

寝起きにやる気を感じる日

昨日は日中に疲れてしまい、やるべきこと、やりたいことをこなさずに夜は布団にダイブした。

今日は10分くらい前に勢いよく起きた。
最近朝一に手を動かすのは苦手だったけど、今日は動かせそうな気がする。
だから少し前に進んでみようと思う。

人間には意志力というものがあって、1日に発揮できる意志の力は総量が決まっていて、だから夜に自分の意志でやるべきことに向かうのは結構難しいらしい。その感覚は自分にも分かる。そもそも寝たい。

だから朝に動くのが自分には良さそうだ...と気づいたのはこの記事を書いた時あたりだろうか。タイトルが釣り臭くて面白い。2016年2月ということで既に4年が経過しているが、今の自分には朝型生活は欠片くらいしか残っていなくて、夜にだらだらと起きていることが週の半分くらいはある。

つまり問題は夜に活動していること自体ではなくて、それよりも一度気づいて築いた良い習慣をずっと続けようという意志がある時途中で切れてしまうと、そこから復帰するのが遅い所なのかもしれない。

とりあえず、今日は良い感じで動けそうなので今のうちにできることをやろう。
そんな感じで。

作り、作る。

普段から自分で何かを作る癖をつけたいと思った。
本を読むでもなく、ゲームをするでもない、コンテンツの消化ではなくて何かを生み出す行動をとりたい。そういう願望は以前からあったけど、自分は今の所どちらかと言えば消費する方が好きで、楽で、よく逃げてしまっている。

逃げてしまう理由のほとんどは「めんどくさい」とか「他のことが楽しい」とか、他愛のないことの積み重ねで、だからこそ自分の意志だけで大きく変えるのが難しい。

でも、さすがにこのまま後10年過ごすのはちょっと怖いとも感じる。だからとりあえずハードルを下げて、ひたすら下げて、少しでも「出来た」と思える道を作っていくことにした。

とりあえずGithubに1行でもコードを上げることを考える。
ただ、アプリを完成させてリリースするのはハードルが高い。そもそも要件を構想するのが大変だし、取り掛かるとどんなアプリでも絶対に大きな課題が2、3以上は見つかるし、その問題を解決するだけの熱意は持ち合わせていなければ挫折してしまう。自分がしたいのはリリースではなくて、継続的に作ること、それだけである。

だから熱意が無くても続きそうな方法を探す。今仕事の中で必要になっている技術と、休日に自分で勉強していることを合わせて、簡単なものを作っていくことにした。その一つ目がこれ。

GitHub - MasaoBlue/training-app-001: 勉強用アプリ1

frontendとbackendを開発するための環境構築。それを簡単に行えるようにするためのコード群。
まだ足りない部分が多いけど、少しずつ育ててみることにする。

どこまでで完成なのかは自分で決めれば良い。出来た所までが完成形。
機能言っていた逆算して考える所とは多分方向性が違うけど、苦手なやり方で前に進もうとして頓挫するよりはできる方法で少しずつでも進んでいく方が賢明なんじゃないか、と考えることにした。

もっともらしい理由を付けて。

逆算

自分は逆算をするのが苦手なのだ、と整理できたのはつい数分前。

今日は日中をゆったり過ごして、眠くなったので昼寝をして、目が覚めたのが18時過ぎ。
布団の中、まだ覚醒し切らないぼんやりとした頭で考え事をしていたのだけど、その時にふとスマホを見て「今日はあと6時間も無い」という事実に気がついた。

それは全くもって当たり前なことで、でも自分の中では今までちゃんと意識してこなかったことでもある。
例えばこの文章にしてもそうで、読んだ人に何を伝えるのか、自分の中で何を残したいのかを考えてから文章を打つのではなく、ただ思いついたことをキーボードで吐き出しているだけの目的の無い状態になっている。

先に頭の中でゴールを決めて、そこに向かっていくための予定を立てること。
自分は何をしたくて、そのためのリソースとしては何が残されていて、実際にどのように動いていきたいのか逆算して考えを進めること。

こういった行動をいつも出来ないが故に、休日があと6時間になった所でやっと「あと6時間しか残っていない」という事実に気づいてしまう。今日はあと6時間しかなくて、今月はあと8日しか無くて、今年はあと5ヶ月もなくて、じゃあ自分の人生はあと何年残っているのだったか。

それは自分で決めるしかないことで、今までやってこれなかった苦手なことでもある。
逆算する癖をつけよう。手始めに今日の残りで何をしたいかを考えてみる。

2020年の目標

「沢山の問題を解決すること」にしようと思う。

そのために、まずは自分の中で問題を定義すること。

そして問題を解決するための方法を考えること。

最後に、解決方法を実践すること。

これらを全て通して問題解決だと考える。

問題の大小は問わない。
1+1の足し算から複雑な統計問題まで何でも良いことにする。

どこまでいけば「沢山」なのかは今の自分には分からないので、この先決めていければ良いと思っている。

今年はもう、2020年である。