まさおまっさお

おいまさおがんばれまさお

人の行為を抑えるのではなく、それをされても問題のない世の中でありたい

駅を歩いていると、色々なところで「歩きスマホはやめましょう」というフレーズを見かける。

スーパーなどで買い物している時も、店内放送で「歩きながらのゲームはやめましょう」と言っているのを聞く。

確かに都会の、人が集まっている場所で、前方に目を向けずに歩き続ける行為は安全とは言い難い。

人はなぜ歩きスマホをしてしまうのか。

理由は様々あると思うが、私の場合は単純に「移動している間に見たい情報があるから」な気がする。

会社からの帰り道は、複数のパターンは有れどほとんど毎回同じ道をたどっている。

回り道して帰ればいつもと違う風景を探し、それを刺激にすることもできるだろうが、そこにそんな時間は使いたくない。

だからといって同じ道を歩いてしまうと、変わるのは大体人の量と着ている服くらいで、景色は殆ど毎日同じである。

そんな同じものを見続けるよりも、スマホでニュースやツイッターでも見ている方がよほど面白い。

少なくとも、多くの日に私はそのように感じているから、つい歩きながらもスマホに手を伸ばしてしまっている。

ただ、その欲求自体は大して珍しいことではなく、「人を殺したい」とか「物を盗みたい」とか、本質的に他人に迷惑をかける行為でもない。

にもかかわらずそれが咎められるのは、今の世の中で歩きスマホをすると、人にぶつかったり、ホームから落ちそうになってしまったりと色々な問題を発生させるからだと思われる。

ここで1つ疑問がある。

それは、「歩きスマホは危ないから禁止する」のが良いのか、それとも「歩きながらスマホを使っても大丈夫な世の中を作る」が良いのか、どちらなのかということだ。

前者は人間の欲求を抑えさせることで成り立つ"ルール"であり、後者は人の欲求を満たすための"仕組み"であると言える。

そう考えた時、私はどちらかというと、人の欲求を満たすルートについて考える方が好きだ。

だから「どうやったら歩きスマホを無くせるか?」と聞かれた時よりも「安全な歩きスマホって何だと思う?」と聞かれた方がテンションが上がる。

その場合、解決方法は「障害物にぶつかりそうになったら振動で教えてくれるスマホ」かもしれないし、「人とぶつからない方向に足を動かしてくれるジーパン」かもしれないし、もしくはもっとぶっ飛んで「人間を透過して貫通できるマント」とかそういう話かもしれない。

いずれにせよ、選択肢が夢幻にあることを考えるのは楽しいし、その結果周囲の人間が迷惑を被らなくなり、かつスマホを使いたい人は歩きながら新しい情報を得られるような、そんな解決方法は無いかと妄想するのは私にとって結構楽しい時間なのである。

だから、暇な人が歩きながらスマホ使っても大丈夫で、急いで移動したい人がエスカレーターを走っても問題なく、暑い車内では自由に扇子を使っても誰にも不快がられないような、そんな世の中になったら良いな、と思う今日この頃。



本当は「労働なんかせずに一生ゲームしまくりつつ良い家に住んで美味しいもの食べて生きてたい」という欲求をそのまま満たしてくれる世の中だったら良いんだけど、それは多分まだ結構先の未来なんだろうなぁ。