まさおまっさお

おいまさおがんばれまさお

情報を受け入れるために2段階用意する

今日、仕事の打ち合わせ中にふと意識が宙に飛んだ。

その時考えていたのは「どうして俺は虫が嫌いなんだろう」ということだった。

足が速い、見た目が気持ち悪い、予想外の動きをしてくる、小さくて攻撃が当たらない。

他にも上げれば色々ある気がする。

ただ、それらはどれも「自分が思い込んでいるだけ」だとも感じた。

足が速いから、小さくて攻撃が当たらないから何だ。

大抵の虫は人間に実害を与えるほどの毒性や攻撃力を持ってはいない。

家に虫が出た、と騒ぐ人は居ても虫に食われて怪我をした、という話はそうそう聞かない。

だとしたら、自分は何故虫を嫌うのだろうか。

それは周囲に虫を嫌っている人が多いから、自分もそのようにしたいと思い込んでいるだけではないだろうか。

そう考えた時、一つの疑問が浮かんだ。

「自分はなぜ最近、他人の意見を落ち着いて聞き入れられるようになったのか」

どうやら、虫への「嫌い」から、他人の話に対する「嫌い」という感情に意識が飛んだらしい。

確かにこの頃の私は、他人の意見を真っ向から否定することが昔よりも減った気がする。

その時のことについて思いを巡らせていると、ある答えを見つけた。

最近の自分の考えの根底には「全てのことは本当か嘘か分からない」という思いがある。

昔は「テレビのニュースでやっていることはすべて事実だ」と無意識のうちに思い込んでいたものだ。

しかし今や、政治家が嘘をつくことは残念ながら当たり前の世の中であり、テレビや新聞のニュースの内容は大抵が記者の主観によって解釈された情報であることを知っている。

そしてそれらの「政治家」や「記事編集者」というのは私と同じ人間であり、つまりは人間が語るのは真実だけではないということにも気づいている。

更には、そんな意図すらなくとも「支持率が20%しかない」と言われるのと「支持率が20%もある」と言われたのでは私が受ける印象は全く違うものとなり、表現ひとつだけでも様々な受け取り方ができるということも学んできた。

そんな流れで最近は、そもそも自分が今考えている「これが正しい」という意見なんて実は全部嘘っぱちで、相手の言っていることの方がよっぽど「正しい」のかもしれない、と考えるようになってきた。

これは私にとって、いわゆる「1段階目の認識」つまりは無意識に行われる反射的な認識の範疇だと思われる。

とはいえ私も人間であり、人並みに「主観」や「自分の意見」というものも持ち合わせていて、正しいかどうか分からない状況の中でも「今意見を言うのだとしたらこうだ」という言葉をどうにか繰り出しながら生きている。

これが、私にとっての「2段階目の認識」である。

このように2段階の情報認識を用意しておくことで、世の中に存在する様々な意見を落ち着いて受け入れた上で、自分なりの考えも持つことができるというバランスの良い考え方を身に着けることができる。



…ということを考えていたら打ち合わせが10分ほど経過していたのだけど、まぁ聞かなきゃ死ぬ訳ではないので問題無いと判断しておこう。

ファスト&スロー(上) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

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