まさおまっさお

おいまさおがんばれまさお

いつもと違うこと2『カメラの映像を頼りに歩く』

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去年の9月、私はこんな記事を書いていた。

「いつもと違うこと」、つまりは今までやったことのない行動を取ることにより、日常生活にエッセンスを加えて新しい体験をしてみよう、という取り組みである。

昔から継続することが苦手な私は、いつも通りこの取り組みを1回でやめてしまった。

しかし、今日の昼間、外を歩いている時にふと思い出し、とっさにいつもと違う行動を取ってみることにした。


今日選択したのは「スマホでカメラを起動し、それを顔の正面に持ってスマホの画面を注視しながら目的地まで歩く」という行為だった。

ちなみに私はこの行動中に撮影は全くしなかったのだが、後から考えると盗撮者のようにも見えてしまいかねない大変危険な行為だと気づいた。(堂々と正面を向けていたので、「ただの変な人」くらいだったかもしれない)

とりあえず、皆さんはくれぐれも捕まらないように注意して頂きたい。


さて、実際に実行してみて分かったことは色々ある。

その中でも一番大きなポイントは「安全確認に関して言えば、『自分の目で見る』ことの必要性はほとんど無い」ということだった。


まずは歩きながら、正面を見てみる。

当然のように、スマホには目の前を歩く人達が鮮明に表示された。


そのまま顔とスマホを下に向け、足元を見てみる。

私の足が、当たり前のごとく動いていた。


スマホを目の前からズラし、またすぐに戻してみる。

私の足がリアルの世界で視界に入るのとほぼ同時に、スマホの画面には私の足が「映像」として表示されていた。


このように、スマホの中で見られる「デジタルのリアル世界」は、今やほとんどリアルと時間差はなく、非常に鮮明に表示される。

私は行為中、できる限りスマホの画面のみに視線を集中させ、リアルの世界を直接見ないように意識した。

しかし、それでもなお、私は誰にも、そして何にもぶつかることはなく目的地に到着することができた。

これはもしかして、凄い発見なのではないだろうか。


世の中では「歩きスマホ禁止」という表示が至る所に張り出されている。

でも、例えばそれが「周囲を見ないで移動する行為は危険だから禁止」という意図なのだとすれば、「カメラの映像を頼りに歩く行為」はもしかすると禁止する必要が無いのではないだろうか。

だとしたら「歩きスマホ禁止」という表示は、一見正しいようだが誤った意味を内包した微妙な表現だということにもなりかねない。

なんと恐ろしい世の中だろうか。

私は今、そんな不思議な時代を生きているようだ。


【補足】
この記事のタイトルは、最初「カメラの映像を見ながら歩く」としていたが、内容を書き始めてすぐに「カメラの映像を頼りに歩く」に変更した。

これは「カメラの映像を見ながらリアルのことを気にして歩く」のではなく、「カメラの映像だけを信頼して歩く」という、いわば自分の命運をiPhone7というスマホ1台に預けながら歩行行為を行ったという実績をアピールしたかったからである。

つまり、最近のスマートフォンという機械は、一時的に自分の命を預ける事さえ全く不安を伴わない素晴らしい製品であるということが分かる。

そうして考えると、今は「AIに重要な意思決定はさせられない」と思っている会社が、もしかすると数年後には「AIに意思決定させることに不安が無い」という状態になっていることもあり得るのではないだろうか。

そんな時代において、私はどのように生きればよいのだろうか。

答えはどこにも無い。

つづ・・・かない。