まさおまっさお

おいまさおがんばれまさお

「すみません」と「ありがとうございます」を使い分けたい

満員電車から降りる時、目の前の人に避けて貰う必要がある場合。

ほとんどの人は「すみません」と言って降りていく。

勿論自分も一緒なんだけど、昨日ここに違和感を感じてしまった。


そもそも「すみません」には2種類の意味がある。

英語でいうところの「excuse me」のように尋ねる時に使う方と「I'm sorry」と謝る時に使う方。


前者の「すみません」は他に代替語がない。

この言葉は電話の「もしもし」と同じ感じで、「特に決まった言葉である必要は無いが、音を発して気づいて貰いたい時」に使える便利なフレーズとして定着している。

だからこの意味で使う場合はそのまま使っておけば良い。


私が違和感を感じたのは、その「気づいて貰うための音」を発した後だ。

声に気づいた人が少しずつ避けてくれている間も「すみません」と続け、結果として降りるまでに3~4回ほど「すみません、降ります」「すみません」「すみませーん」と呪文のように唱えながら降りていく行為。

これが何か納得いかない。

最初の「すみません、降ります」は気づいて貰う為の言葉なので問題ない。

しかし、ある程度の人が避けてくれた後で出てくる「すみません」は、いわば「謝罪」的な意味を含んだ方の言葉になってしまっている。

そのシーンで本当に必要なのは「謝罪」なのだろうか。


謝罪とは「罪や過ちをわびること」である。

今回の場合に当てはめれば
「自分がマイナスの行為をしている(=避けて貰わないと降りれない状況に居る)」
という事に対し、その許しを周囲に請うことになる。

確かにそれは間違いではない。


ただ、自分が通る道ができた時点で、周囲の人たちは「自分の言葉に応じてくれた状態」である。

それなのに「すみません」という言葉を使ってしまうのは、つまり「自分の行為」しか見ていない状態だ。

本当にこれで良いのだろうか。


本来であれば、その相手の行為に対して「感謝」を表すべきだと私は感じる。

感謝とは「ありがたいと思う気持ちを表すこと」だ。

今回の場合なら
「相手がプラスの行為をしてくれた(=自分の呼びかけに応じてくれた)」
という点に対し、ありがたいという気持ちを表すこと。

これにより「自分の行為が」という独りよがりな言葉から「相手の行為が」という周囲に対する言葉に置き換えることができる。

そして人間は誰しも、「私はマイナスです」と他人に主張されるより「あなたはプラスです」と自分に対して言われた方が嬉しいはずだ。

その小さな「嬉しい」を生み出せるのが「ありがとう」という言葉だと私は思うし、電車の中でそれができたら嬉しい事である。

つまり「ありがとう」を適切に使うことができれば、自分も周囲もお互いに「嬉しい」状況を作り出せるということだ。


そう考えたとき、昨日の私はどうするべきだったのか。

まず最初は「(気づいて貰うための)すみません」で始め、必要なだけの人たちに気づいて貰えるまでは「すみません」を続けても良い。

ただ、充分降りられる隙間が空き、そこを通る際の最後の言葉は「ありがとうございます」で締めて降車する。

それが自分にとっての『理想的な満員電車からの降車の仕方』ではないだろうか。


【さいごに】

勿論、満員電車なんて無くなればこの問題は解決する。

ただ、電車に乗らない場合でも、私は日常的に「すみません」という言葉を謝る方の意味で多用していて、そのうちいくつかは「ありがとう」で置き換えられる場面があると感じている。

だからまずは毎日のように使う電車の中で「ありがとう」を自然と使えるようになれば、少し理想的な方向に進める気がする。

と思った。


【余談】

そうえば「ありがとう」の一番有名な表現は「Thank you」だった。

「I'm sorry」と「Thank you」、それぞれの言葉が誰の方を向いているか、英語ではとても明確になっている。

日本語は言葉から色んな要素が抜け、省略されているのかもしれない。