まさおまっさお

おいまさおがんばれまさお

もし自分が明日1日だけ2人居たとしたら何をするか。

ただし1人に戻った時点で2人の記憶は1つにまとめられるものとする。


という設定を考えた時、私は丁度本屋からの帰りであった。

今日は本を2冊買い、1冊は面白くて実践してみたくなる本、もう一つは実用的な難しめの本を買った。

だとしたら明日はその2冊を2人に分け与えて両方の知識を一気に頭に入れるのが良いだろうか。

いや、それでは「やり方」の部分しか検討できていない。

本当に重要なのは「自分が何をしたいか」という目的の方を先に考えることだ。

ただ本を読み情報を仕入れるだけなら自分が2日かければ同じ結果が得られる。

2人同時に存在することでしか得られない情報とは何だろう。

例えば、2人それぞれに上のような「条件の少し異なる同じ種類の体験」をさせ、その2つの記憶が1つになった時に「どちらの本が面白かったか」というのを測るというのはどうだろうか。

日数をかけて2冊の本を読むことは可能だが、それではどうしても比較的な読み方になってしまい「同じ知識前提で」読んだ結果にはなり得ない。

でも同じ人間が同時に2人いれば「ほとんど同じ条件で」別の本を読んで結論を出すことができるのではないだろうか。

だから明日、私は2人に分身した上で別々の本を同じ場所で読み、最終的には月曜日になって1人の自分に戻り、「自分が本当に面白いと感じる物は何なのか」という事実を検証しようと思ったのだけど、そもそも分身の術はこの世にいまだ未実装なのだと気づいてしまった。

悲しい。

大事だけどよく分からないこと

www3.nhk.or.jp

今、この記事がホッテントリに上がっていた。

私がこの記事を開いたのは、「週刊少年ジャンプ今週号(42号)の1ページ目で、このニュースが発表されてたな」と思い出したからだ。

www.fujitv.co.jp

そしてPCで はてなブックマークのコメントを何気なく見ていた所、関連商品欄には
歌手ならだれでも知っておきたい「からだ」のこと - はてなキーワード
というリンクが表示されていた。

私は歌う事が非常に好きで、去年も歌に関する本を3冊くらい買っている。

そして「もっと情報を得たい」という思いが沸いたため、この本についてとても興味を持ち、とりあえずリンクをクリックした。

その勢いでamazonのページへ飛ぶかと思われたが、ここでふと「この本は、"今"必要な本ではないな」と思いとどまり、リンクを辿るのを止めた。

ただ、その時には興味が「本」という大きな枠に向いていて、「そういえば一昨日、『ミライを変えるモノづくりベンチャーのはじめ方』」について記事を書いた事を思い出した。

www.masaoblue.com

そうすると今度は、「この記事は『はてなキーワード』で検索に出てくるのだろうか?という所に気が向き、本のタイトルを検索しようと動き始める。

でもその時、タイトルを手入力したため、誤って「ミライをつくる モノづくり」と打ち込んでしまった。

するとなんと、検索結果に現れたのは「旅する生クルミ 300g」という商品だ。

私はこの情報を見てビビっと来た。

タイトルと画像から察するに、子供向けの絵本のように見えた。

「そんな絵本があるのか!めっちゃ読んでみたい!!!」と興奮しながら勢いよく商品ページへ飛ぶ。

するとどうだ。

www.amazon.co.jp

「そんな絵本が」という認識のは私の早とちりだった。

この商品は絵本ではなく、ただの「300gで1289円の高級クルミの通販」だ。

そして私は今、別にクルミを食べたい気分ではない。

そう思った時、ふと、今までの自分の行動に目が向いた。


このページに辿り着いたのは「タイトルを誤入力したから」であり、その前には「記事を書いた記憶」や「必要でもない本への興味」があり、もっと遡ると「去年本を買った記憶」や「今週のジャンプで読んだ記憶」などがあった。

ここには「よく分からない情報の繋がり」が存在する。

情報の繋がりとは、人間が意図的に付与する「タグ」や「関連情報」のようなものだけでなく、このように恣意的な「よく分からない繋がり」も非常に多い。

むしろ、この恣意的な繋がりこそが情報の本質であり、人間は常に「なんとなく」で世界を見ているようにも感じる。

そしてこの「なんとなく」は現在のコンピューターの最も苦手とする分野だ。

世の中を見渡せば、この「なんとなく」を実現するために様々な研究が重ねられている。

レジ無しスーパーで注目されたAmazon Goでは、人間の「なんとなく同じ商品だと分かる」を再現するために画像認識が使われる。

IM2CADでは「なんとなくどこが奥か分かる」を実現させ、2Dの写真から3Dデータを抽出しようとしている。

そして最終的には「なんとなく色んな場面に対応できる汎用的な人工知能」に繋がっていく。

人間の「なんとなく」とはどこから来るのだろうか。

朝からそんなことを考えていた。

【本】ミライを変える モノづくりベンチャーのはじめ方

ミライを変えるモノづくりベンチャーのはじめ方

ミライを変えるモノづくりベンチャーのはじめ方


一言で言えば、最高の本だ。

なんと表現すれば伝わるのか分からないが、タイトルに違わず、私の中にある「ミライを変えたい」という思いを強くしてくれる本だった。

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最近、他人を否定できなくなってきた

タイトルは「だんだんそうなってきた」という意味であって、やっぱり嫌いな人も居るし嫌だなと思う相手もいる。

でも、その「嫌いだ」「嫌だ」という感情より、もっと大きな割合を「この人はなぜこのような状態になったのだろう」という疑問・好奇心が占めるようになってきていて、それ故に嫌悪の感情が相対的に低くなっているのかもしれない。


それを感じたのは今日の帰り道、満員電車に乗った時だ。

私はかれこれ8年ほど毎日満員電車に乗っていることもあり、最近はもうどんなに詰め込まれようと「押し込まれる」とか「潰される」と感じることはなく、ただ「並んでる人全員乗れたかな」と心配しながら延々スマホをいじるか本を読んでいる。

ただ今日は、私の前に乗っていたお兄さんに目が留まった。

彼は私に背中を向けて立っており、その時の表情は見えていない。

しかし、彼が不機嫌そうにしていることは分かった。

何故かと言うと、電車のドアが開いて以降、彼がしきりに「チッ」と舌打ちを鳴らしていたからだ。

最初は聞き間違いかと思ったが、どうやら何かに苛立っており、時々怒りのような独り言を発しては舌打ちを繰り返している。

その状況で、もちろん最初は「この人怖いな」と感じたし「こんな近くに居て大丈夫だろうか」と自分の身を案じてみたりもした。

少し前までの自分なら、「なんだコイツ、電車の中で舌打ちしてんじゃねーよ」と脳内でキレていた所だと思う。


でも今日は違った。

私はまず「この人はなぜ怒っているのだろう」と考え始め、例えば何が起きたのか妄想を始めた。

  • もしかして、彼女に振られた直後かな
  • 突然会社からクビを言い渡されたのかもしれない
  • 病院に行ったら余命宣告をされたとか
  • 仕事が忙しくて子育に参加できず、奥さんにひどい言葉をかけられたのかも
  • お腹が痛いのに早く帰らなきゃいけず、無理して満員電車に乗ってるのかな
  • 単純に暑くて苦しいだけなんだろうか


人が怒る理由には様々なものがあり、小さな(と人から見える)理由で怒る人は「沸点が低い」と言われたりする。

でも「沸点が高い」「沸点が低い」という言葉が日常的に使われるということは、つまりどちらに寄っていたとしても「大体普通」という事だと思う。

だから、もし目の前のお兄さんがどんな理由で不機嫌なのだとしても、それは「大体普通」なのである。

じゃあここで視点を戻してみると、今の自分は「怒り」を感じているだろうか。

いや、そんなことはない。

このお兄さんは「大体普通」な状況にある。

むしろ色々な状況を想像するうちに、お兄さんに同情心すら芽生えてきた。

そう考えると、お兄さんからしてみれば「9割方間違っている理由で同情されている」のだからそっちの方が迷惑なのかもしれない。

やっぱり、よく知りもしないこの人の行為を否定することは、自分にはできない。


つまり、最近は妄想が良く捗る季節ですね、という事なのだ。

出張で少し田舎の電車に乗っている時、田んぼの間に建っているボロアパートを見て「建設当初はピカピカだったんだろうな」とか「昔、若い夫婦が夢と希望を持ちながらマイホームを購入したんだろうな」とか「今はどんな人が住んでいるのか、もしかして所有者の決まっていない空き家だったり、もしくは相続された息子が持て余している状態なのかな」とか、色々考える。

そうすると今現状この瞬間にしか存在しない「ちょっとした嫌悪感」のような感情はどうでも良いものに変わり、今日も私の周りは平和で芳翠園の水出しほうじ茶が非常に美味しいという事実だけが残るのであった。


www.tea.co.jp

仕事と育児の「どっちが楽か」を比べることの意味



自分には子供が居ないため、仕事と子育てどちらが辛いかは分からない。

ただ、少なくとも体感として、仕事を楽だと感じたことはあまり無い。

それは自分が運よく「楽にはこなせない程度の仕事を任されてきた」という事かもしれないけど、学校で教えてくれる知識と社会に出てから必要とされる知識に大きな乖離があるこの国で、仕事を「楽」だと思える人はどれだけいるのだろうか。

むしろ、仕事に対し「楽じゃない」ではなく「辛い」と感じる人も多いのではないだろうか。

そんな現状にも関わらず、冒頭のアンケートに回答した人のうち「子育てより仕事の方が楽だ」と感じる人の割合はかなり多くなっている。

これは「日本において子育ての環境が整っていない」という事実を表しているようにも見え、私自身もそこまでで納得しようとしてしまった。

比較の意味

ただ本来、2つの行動を比較するのであれば「投資対効果」で測る必要がある。

大変さ、つまり「コスト」だけを見て比較するという事は、例えば「1時間ゲームしてれば10円貰える仕事と、1時間死ぬほど苦しいけど耐えたら百万円貰える仕事、どっちが楽?」と言われているようなもので、これでは前者が楽なのは当たり前である。

つまり「仕事と育児で得られる物の大きさ」を合わせて比較しなければ、その比較自体が意味あるものにならない気がする。

でも「どちらで得られる物が大きいですか?」と単純に聞いた所で、それはその家族の置かれた環境によって全く異なる結果になり、やはり意味が無いように思う。

だから私は結局、この2つを比較する行為に対して明確な意味を見出せなかった。

というのがこの記事のタイトルに関する結論である。

問題点の整理

この件において、本当の問題は「仕事と育児の『楽さ』を比べなきゃいけない現状」にあるのではないかと感じる。

ツイート内容から分かる事実を一つずつ分解していくと、以下のような個別の問題がありそうに見えた。

  • 多くの人にとって育児が大変なものになっている事(=子育て環境の整備不足)
  • 妻が育児を「大変だ」と感じている事実が夫に伝わっていない事(=夫婦間での感覚共有の祖語)
  • 夫が自分の仕事を「育児より大変だ」と感じなければいけない事(=夫の仕事がブラックな可能性)

私は先のツイートを見て、何となく違和感を感じた。

それは恐らく「発言者が問題と感じている点が分からない」事に加え「その比較では問題を解決できる結果は得られないのではないか」と考えたからだと思われる。

記事を書きながら色々整理した結果、とりあえずその事実が分かったので良しとしよう。


この記事にオチは無いし、目指す所もない。

ただただ、課題の分離の難しさを感じた朝だった。

ノンストップライティングと瞑想は似ている気がする

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blog.gururimichi.com

何が似ているのか言葉で説明できないのだけど、感覚が似ている。

恐らく自分が今ノンストップライティングを実行した際、目をつぶっていたことに関係しているのかもしれない。

この本を買ったのは今年の4月。

出張に行く新幹線の中で読み始めたら面白い本で止まらなくなったのを覚えている。

ただこの「面白い」という感覚は曲者で、自分の中で面白いなと感じた時大体はそう思うだけで何も行動に移らずやめてしまう。

アイデア大全を読んだ時も同じで、実際に自分がどれか1つでも行動に移せることは無かったし、この本は最後まで読まずに途中で止まってしまっていた。

自分の中で、こんなに面白い本を持っているのに何も動けていない事実に対して「使わないの勿体ないな」と思っていたけど、それが実行に移されることはなかった。

だからこの本を買ったこと自体「無駄」なのかと思っていたんだけど、冒頭の記事で改めて他人がやっているのを見て「やっぱり面白そうだな」と感じたのは事実だ。

つまり本を読みすぐに自分の力で実行に移せなければ全て無駄なのではなく、その「やってみたい」というアクセルが頭の中にある事実を見つけることこそが大事であり、そのアクセルを踏み込めるかどうかは別の問題なのではないだろうか。

去年から今年にかけて、私は人生で今までにないほど本を買いあさり、読み、そして実行に移さずにここまで来た。

それらは全て無駄なのではなく自分の中のどこかに隠れていて、今後別の色々なことを体験するときにひょっこりと顔を出してくるようなものなのかもしれない。

そう考えると、今現状は何の役にも立たない本を読む事も、会社で興味の無い研修を受ける事も、めんどくさいと思いながら外に出て新しい体験をすることも、やっぱり自分の人生にとっては無駄ではないということになる。

これは素晴らしい事実である。


しかし、例え無駄なことは無いとしても、人に与えられた時間は皆平等だ。

「与えられる物が平等である」ということはつまり「使い方が上手い人が一番得をする」という事であり、これは時間でもお金でも何でも同じルールである。

そして時間を使うことが上手ければお金を得るチャンスも増え、お金が増えれば時間をより有効活用する手法を使えるようになる。

作業効率アップのためにポメラやiPadを買う。面倒な家事はお手伝いさんを雇って頼む。移動は待ち時間の無いタクシーを使う。

時間を使ってお金を生み出すことができるようになりたい。

でもお金は信用であり、その信用を得る為には「自分は何ができるのか」をしっかり自覚してその力を周囲の人たちに売り込んでいく必要がある。

売り込む、というよりは使える所を見つけて提供する程度の柔らかい言い方が正しいのかもしれない。

世の中は常に変わっていて、自分が気づかなかったような提供の仕方、提供内容もいくらでも存在している。

それを見つけるためには実際に行動し、本当に役に立つのかを見極める事が重要だ。

だから今後も、自分が苦しくない範囲で自分の作ったもの(主に何らかのプログラムと、文章)を世に公開していこうと思う。


この記事を書いて学んだこと
文章には接続詞が沢山存在していて、大量の文字が繋がっているように見えるのは接続詞さんのおかげなのだから、接続詞様をもっと崇めたたえる記事が世の中に沢山存在していても良いのではないかと思った。

アイデア大全

アイデア大全

発想法入門 (日経文庫)

発想法入門 (日経文庫)

塩こしょうは良い。

塩こしょうは良い。

調味料として美味しいのはもちろん、多少こぼしてしまったとしても掃除機で吸い取るだけで良い。

その点砂糖はダメだ。

色々な料理に使われているけど、溶けるとベタベタするから掃除がしにくい。


ふと、こんな感じの文章を思いついたんだけど、何となく納得がいかない。

なぜなら塩こしょうに対しては褒めるだけなのに、砂糖に対してはただ批判するだけで、良いところを見つける気が感じられないからだ。

塩こしょうを褒める気があるなら、一緒に砂糖も褒めちぎってやれば良い。

そうすれば、社会で多少嫌いなものに出会った時にも、落ち着いてポジティブな気持ちで対応するための準備ができるんじゃないだろうか。


砂糖は良い。

甘くて美味しいし、なんといっても加工し易い。

小石のように固めた氷砂糖は保存食に最適だし、おやつとして食べても申し分ない。

粉砂糖にすれば雪のような見た目になって、オシャレなお菓子の上に登場する。

水と着色料を混ぜてクッキーの上に絞れば自由な絵柄を描くこともできる。

だから砂糖は良い。


味噌も良い。

あの万能さは中々出ない。

お湯と混ぜるだけで味噌汁になるし、ラーメンの汁にも焼き肉の味付けにも卵の漬け込みにも使える。

味濃い物好きの自分にとっては一瞬で濃い味になるあの調味料は外せない。

だから味噌も良い。


醤油も良い。

甘い醤油もしょっぱい醤油もどちらも使い道がある。

野菜を炒める時に少し垂らすだけで格段においしくなる。

ちょっと奮発して高い醤油を買うとなお美味しい。

でも古醤油廿歳造は55mlで3445円するらしい。頭がおかしい。

やっぱり醤油も良い。


調味料は素晴らしい。

そんな調味料がスーパーで手軽に買える日本も素晴らしい。

今日も良い日だった。


褒めるのは得意ではない。

でも本当に良いと思う物に会った時は無条件に褒めるし、日常で褒める言葉を使う機会は結構多い。

ただ褒め言葉の種類が足りない、というか褒める時に自分が見れている視点が少ない気がする。

感じていることを言葉で表現できない語彙力の問題と、そもそも視点が狭いという問題の2つが混在していて、自分はあまり褒め上手ではないと思う。

だからこそ、日常的で当たり前に感じていることに対して褒める練習をすることで、自分の視点を増やすことができるんじゃないかと思っている。


世の中にはシックスハット法というやり方がある。

1つの物事を「客観的・直感的・肯定的・否定的・革新的・俯瞰的」の6つの視点から見ることで、より多くのアイデアを出そうとする試みらしい。

このうち何かを褒める時に自分が使えるのは「肯定的」と「俯瞰的」の2つくらいな気がする。

でも本当は客観的に見て褒めたり、否定的な言葉を裏返して褒めたり、得意な人なら革新的な視点から褒めることもできるのかもしれない。

もちろん、否定の裏返しや革新的な視点からの褒め言葉は相手が嬉しく感じない可能性もあるかもしれない。

だから実際に言葉にするかは別だけど、自分の頭の中で色んな表現を使って物事を褒めるようにしていくことは、これからの自分の成長に必要な事だと思う。

明日も褒める一日にしよう。


敬具。