まさおまっさお

おいまさおがんばれまさお

自分の行く道は自分しか決められない。

だから視野を広く持つ必要がある。

今までやったことない事にも手を出してみよう。

10万とか1万とかではなく1円10円からで良い。

大きくて届かない目標よりも小さくて届く目標を、まずは優先する。

って、やっぱり2年くらい前から言ってることが同じような気がした。

何が変わり、何が変わっていないんだろうか。

線香の箱の上にマスクを置いておく

寝る時、喉が乾き過ぎないように毎日マスクをして寝ている。

ある日、起きて無意識でマスクを置いた場所が線香の箱の上だった。

その日の夜は、マスクについた移り香を嗅ぎながら寝ることになった。

それ以降、毎日のように線香の匂いを嗅いでいる。

cssで特に意味のないものを作る

See the Pen SquareCircle by masaoblue (@masaoblue) on CodePen.



これはマウスカーソルを乗せると四角形が円を描くように並ぶだけの、特に何の役にも立たない実装である。

最近、こんな「意味はないけどつい動かしたくなるもの」を作るのがマイブームだ。

「つい〇〇してしまう」というフレーズは聞いていてとても心地良い。


去年買った本に、そういった、人の行動を誘引するような「仕掛け」に関するものがあった。

仕掛学

仕掛学


この本の中で、仕掛けとは以下の3要件を満たすものと定義されている。

  • 公平性(Fairness):誰も不利益を被らない。
  • 誘引性(Attractiveness):行動が誘われる。
  • 目的の二重性(Duality of purpose):仕掛ける側と仕掛けられる側の目的が異なる。

(本文36Pより引用)


自分が作ったものはどうだろう。

公平で、誰も不利益は被らない。

赤い四角形が沢山並んでいると、「何かあるのかな?」と思いカーソルで触れてみたくなる誘引性はあるように感じる。

ただ、目的の二重性の条件に関しては、そもそも仕掛ける側の私に目的が存在しないので成り立たない。

だとしたら、自分は何を作っているのだろうか。

少し考えてみたが、特別何か思いつくこともなく、結局記事のタイトルは「特に意味のないもの」という思い付きで入力した文字列に落ち着いてしまうのであった。

楽しけりゃ良いか。

するか、しないか

「やるべきこと」を決めるのは簡単。

でも「やらないべきこと」を決めるのは難しい。

それは部屋の掃除にも似ている。「あった方が良い」は「なくても良い」むしろ「ない方が良い」と考え、思い切って捨てる勇気が必要である。

blog.craftz.dog

この記事は本当に素晴らしい。

自分は一人しかいない。大きな企業であれば無駄なところにも力を入れられるが、小さくなればなるほど目的を明確にして余計な要素を省く必要がある。

だから自分が1人でやる事はせめて、自分の本当にすべきことに専念できるよう動いていきたい。

では「私のすべきこと」は何だろう。

探しても見つからない。

だから「作る」しかない。

「絶対」はあるのか、ないのか

「絶対悪」という単語がある。

しかしこの言葉は、正確に言えば成り立たない。

なぜなら世の中に「絶対的な絶対」は存在しないからである。

「絶対」が存在すると証明することはいわゆる「悪魔の証明」のようなものであり、つまりは自己言及のパラドックス のようなジレンマが発生してしまうため、少なくとも今の人間の考える「論理」の範囲の中で説明を完結させることはできない。

ただ、制限として何らかの"絶対条件"が存在するとした上で語ってみると、この言葉を成り立たせることが可能になる。

それは例えば「男性は絶対に女性にとっての悪である」という"絶対条件"を定めた時、男性Aは「絶対に悪である」という理論は正しいと言えるということである。

つまり、「絶対」という言葉は、何らかの制限を明確に定めた場合にのみ存在し得る、いわば「仮定を前提とした単語」だと考えられる。


さて、そうだとすると、「絶対悪」という言葉がこの世界で初めて使われた時、その「絶対」という言葉にかかっていた「制限」というのは、一体どのような内容だったのだろうか。

最近、そんな妄想をしている時間が、結構楽しく感じる。

(冒頭の説明は正しいかどうか分からないが、雰囲気を伝えたかっただけなので許してほしい)

「最近感動したこと」を答えられるようになっていた

ひと昔前、私は就職活動を楽しんでいた時期がある。

それなりの企業を受け、それなりに選考を進めることができ、幸いなことに最終的には複数の会社から内定を貰った。

面接では様々なことを聞かれたが、私はその場を取り繕うのがそれなりに得意だったため、大抵の質問は間を置かずに答えることができた。

そんな私が、1つだけ返答に困った質問がある。

「今までで一番嬉しかったことは何ですか?」

とある会社の面接で、突然出てきた質問。

私は3名の面接官に対し、少し考える時間を貰えるようお願いした。

そして目をつぶり、必死に頭の中を検索してみる。

しかし、これといって「嬉しい」と感じた体験を思い出せない。

学生時代、授業ではIT系の資格勉強をさせられていた。

そのころの私は真面目に勉強していたので、試験にはいくつか合格したし、それなりに「嬉しい」感じはする。

でも、それは学生として、いわば「当たり前」な事だと認識していたし、それを「嬉しかったこと」に挙げるのは何だか違う気がした。

じゃあ一体、私は何を嬉しいと思っただろうか。

専門学校を遡り、高校、中学校、小学校と様々な記憶をたどってみるも、良さそうな回答は全く出てこない。


結局、私は30秒程うんうんと唸った末、仕方がないので資格取得のことを答えたのだが、正直自分の喋り方からは「本当に嬉しかった」という印象は全く伝えられなかったように思う。

実際、大して嬉しいと思わずに答えたのだから当たり前だ。

あの面接を受けて以降、私は「自分の感情を思い出すのって難しいんだな」という事実をしみじみと感じながら生きてきた。


さて、最近の私はどうだろう。

昨日は社内で集合研修があり、今まで喋ったことのない人とグループを組み、はじめに自己紹介をすることになった。

その時、講師から「自分の所属や名前と一緒に『最近感動したこと』を話してください」と言われ、内心ドキっとした。

もしかして、これはあの就活の時の質問と同じやつではないか。
だとしたら、私はこの問いに、ちゃんと答えることができるだろうか。

人知れず大きな不安を感じていたのだが、その不安は的中しなかった。

なんと、私が上の問題について考え始めた瞬間、脳の中から「最近感動したこと」がフッと沸き出てきたのである。


正直、かなり驚いた。

私は不安など感じる間すらなく、自分の過去の感情を、一瞬で探し出すことができるようになっていた。

これは学生の頃から比べると、とてつもない進化だ。

思い返してみれば、私は最近、日常の気づいたことを紙のノートやEvernoteに書き留める習慣がついている。

去年からはこのブログも始めたし、今まで全然読めなかった本も読めるようになり、1冊の本を読めば沢山の気づきメモがとれるようになった。

そう考えると、私の「毎日の記録量」は、学生時代とは比べ物にならないほど増えている。

おかげで、過去の自分に起きた様々なことを、以前よりも明確に覚え、そして思い出せるようになっているようである。


だからどう、という訳ではない。

でも私は、今の自分が「過去のことを思い出せる状態」であり、それがまるで卒業アルバムのように、昔を振り返って懐かしむことすらできるものだと気づき、この事実に一種の感動を覚えている。

なんだか明日からも、楽しく生きられそうな気がする。