まさおまっさお

おいまさおがんばれまさお

寝る前にスマホを触らない

最近どうも寝起きが良くない。
目覚ましのおかげで一度目が覚めるのだけど、そのままだらだらと布団の中で時間を過ごしてしまい、結局二度寝三度寝を繰り返して1、2時間経過していることが多い。

そんな中、今日は久しぶりに「目が覚めてしまった」と感じるくらいスッキリと目覚められた日だった。
午後に予定があり、それに遅刻する訳にはいかないから…というのもあるかもしれないが、他にも要因がありそうな気がする。

以前にも同じことを考えた際、二度寝し過ぎないための対策として「一度起きたらカーテンを開けて光を浴びてから二度寝する」というのを実践したことがあった。
これは、よくある体内時計がなんちゃらというネットのどこかの記事で「たとえ寝起きの時間がズレていても、太陽光を浴びた時間に体内時計はリセットされるから、毎朝光を浴びるべき」という言説を見たからである。ソースは覚えていない。

曖昧な情報ではあるものの、自分には一定の効果があった。
それまでは二度寝どころかスヌーズをかけながら五度寝くらいしていた所、目が覚めたタイミングでとりあえず布団の横にあるカーテン(その時は1級遮光だった)を開けて体に光が当たるようにした所、三度寝以上することが減り、二度寝した後に起きるまでの時間も短くすることができたのだ。
科学的な裏付けは特に持っていないが、自分にとっては中々良い対策だったと思っている。

ただ最近、引っ越をしたことで睡眠環境が変わった。
前の家よりも窓が縦に長い家で、元々持っているカーテンでは足もとが30cmくらい空いた状態になってしまう。
本当はちゃんと合ったカーテンを買いたい所ではあるが、私の部屋は大部分がすりガラスで外から見えない上、他の家電などを買い替えてお金を使ってしまったこともあり、カーテンの買い替えは優先度を下げることにした。
このため、最近は朝になると否が応でも光を浴びさせられる状態となっている。

にも拘わらず、私は最近、また何度も寝てしまう癖が再発してしまっている。
自分なりに少し考えてみたところ、3つほど改善できそうなポイントが考えられた。

まず、夜に食べ過ぎてしまうこと。
以前朝活…的なことをしていた時は食事に少し気を使っていた。
大まかに言えば腹八分目程度で抑えることと、最後に物を食べた後ある程度時間を置いてから寝ることの2点だったのだけど、最近は新しいスーパーで買ってきた安いお惣菜などに目がくらみ、夕飯を沢山食べてしまうことが多い。そして食べ終わると横になりたい欲求に駆られ、そのまま布団に入って寝起きの悪い朝を迎えてしまう。
典型的なダメな例だとは思いつつ、お腹いっぱいの幸福感と共に睡眠を貪る満足感には抗えなかった。

次に、目覚まし時計を枕元に置いていること。
今まではスマホで目覚ましをかけていたのだけど、専用の目覚ましがあった方が快適になるのではないか、と思い引っ越しを機に購入してみた。LOFTで2500円。コンパクトで良い時計である。
しかし、布団から出ずに止められる位置にそれを置いたのは明らかに間違いだった。
最近の私は、目覚ましの音で目覚めるとすぐに時計の上に付いているスヌーズボタンを押す。その時布団からは出ないものだから、そのまま二度寝をし、5分後にもう一度起こされてもまたスヌーズボタンを押してしまう。
起きなきゃ、という漠然とした意識だけでは自分は全く起きられないのだと久しぶりに痛感している。

3つ目は、寝る前にスマホを触っていること。
引っ越す前は枕元に充電器が無かったため、ベッドから2、3メートル離れたPCの近くでスマホを充電していた。だから寝る直前にはスマホを触らず、適当な本を読んで眠くなったら寝るような流れだった。
しかし今の家は、悪いことに枕元にコンセントがついている。引っ越して布団を設定した後「ここでスマホ充電できるの便利じゃん」と思い充電環境を用意してみたのだが、これは寝起きを改善するという観点から見れば完全に悪手だったようである。
加えて今の私の部屋は、部屋のライトをリモコンで消すことができない。そのため寝る前に布団で本を読んでも「眠くなってきたら一度布団から出て、電気を消して布団に戻って寝る」という行為が非常に億劫に感じてしまい、だったら「電気を消してから布団に入ってスマホを触りながら寝る」方が快適だと考えてしまった。

そんなこんなで、私の睡眠…もとい起床環境は以前よりも悪化してしまっている。
このことに具体的に思い至ったのが今週の半ば。

そして昨日は試しに「スマホはPC付近で充電し、寝る前に触らない」と「枕元の目覚まし時計は使わず、少し離れた位置のスマホで目覚ましをかける」という2つの対策を実施したところ、いつもと変わらない程度の睡眠時間を確保しつつ二度寝の欲求を抑えて適度なスッキリ感を持って起床することができた。

巷ではなんちゃら式最強の睡眠とか、そういう本が流行っているらしい。
そういうのも取り入れてみようかと思いつつ、でもそこまで睡眠に対してストイックにもなり切れない、という自分の中での小さな葛藤があり、結局目の前に見えていることを解決する方向に向かってしまうのは、もしかしてあまり良くない事なのかもしれない。

生きることは難しい。
生きることは嫌いではないけど、やっぱり難しい。

時期が過ぎたクリスマスツリー

昨年の終わり、クリスマスの直前に我が家ではクリスマスツリーを飾った。

3年ほど前に購入した、高さ150cmのもみの木。ツリー自体は意外と安く7500円とかそれくらいで、でも色を変えられるLEDとかオーナメントとか揃えると、結局2万円くらいになった気がする。

それだけのお金をかけているのに、クリスマスだけしか表に出さないなんて勿体ない。せめて年を越すくらいまで飾っておこう。

と思っていたら早4月、ツリーは未だにうちの今に高々と聳え立っている。

このまま今月を終え、5月まで飾り続けておけば平成と令和の両方を体験したクリスマスツリーということで、うちのツリーの価値が突然爆上がりしたりしないだろうか。

まぁ例えそうなったとしても、どうせ今年も使うのだから売りに出したりはしないんだけど。

ただ、よく考えると今年のクリスマスまではあと8ヶ月と少し。
クリスマスイブイブイブ…的な数え方をできなくもない期間だ。

どうせ11月になったら、世の中のスーパーやらイベント会場はどこもクリスマスっぽい感じになるのだし、そう考えるとあと7ヶ月程度。

それならいっそ今年は片づけず、このまま丸一年継続して屹立していて貰うのも面白いことなのかもしれない。

もし1年間、365日表に出続けているクリスマスツリーがあったら、それは本当にクリスマスツリーなんだろうか。

もし装飾を外し、ただの木として立っている間の方が長いのだとしたら、その木はクリスマスツリーではなくただのもみの木になるんだろうか。

もし装飾をしていたとしても、正月にも、ゴールデンウィークにも、お盆にもずっと立ち続けている木はクリスマスツリーと呼ばれるんだろうか。

もしそうだとしたら、仮に装飾をしていないもみの木が12月25日に存在していたら、それはクリスマスツリーともみの木のどっちなんだろうか。

クリスマスツリーであり、もみの木でもある、というのが正しい答えかもしれないけど、それぞれの場合でどっちの名前で呼ぶ人が多いのかはちょっと気になる。

でも検証する予定はない。

やるべきことを朝にやる

最近、早起きを心掛けている。

睡眠は最低でも6時間取りたいから、可能なら11時に寝て5時に起きたい。
一時期は9時寝3時起きとかもやっていたけど、現状毎日9時に寝るのが現実的ではないので、21:00~7:00までの間に6時間睡眠を取って起床すること、くらいの緩い心掛けかもしれない。

昨日は夜に飲み会があって、お酒は飲まなかったけど帰宅したのが11時過ぎだった。
そこから日課のIIDX練習をやって、小説読みながら寝たのが恐らく12:30頃。今朝起きたのは6:50頃だった。

ここ数週間は少しずつ、趣味以外のリズム作りができてきていて、今日も起きてから今までは読書と英語の勉強をしていた。
近々また忙しくなる可能性があるので、できるだけキープしていけるよう努力しようと思う。

このブログの過去の記事を検索すると、早起きとか朝活に関する記事がちらほら存在する。

やりたい事も増えてきたし、久しぶりに朝型生活に戻していこう - まさおまっさお
ホントに朝活したいなら、夜の生活を見直そう。 - まさおまっさお
あなたは大丈夫!?間違った『朝活』が危険な3つの理由 - まさおまっさお

これだけ何回も書いているというのは、自分は朝という時間に何かしらの思い入れがあって、逆に夜という時間には少しの苦手意識を持っている、という事を表しているのかもしれない。

1日は24時間しか無くて、その中でも基本的には動かせない仕事の時間が8時間も存在している訳なので、残りの時間をどのように過ごすかを全く考えないままだとリズムを作るのは難しい。

例えば労働時間は絶対に8時間と決まっていたとしても、その日の都合によっては切り良い所までやり切ろうとして少し延長してしまったり、もしくは仕事内容が難しくて終わる頃には頭も体もすっかり疲れ切ってしまっていることもある。
そうなると、そこから自分の意志で何かを始めようとするのは中々難しい。

「すぐやる人」と「やれない人」の習慣 (アスカビジネス)

昨日の記事にも書いたこの本の帯には、こんなことが書いてある。

今すぐ動きたくて ワクワクする「仕組み」を作ろう!


そもそも仕事という長時間のイベントが終わった後に「自分の意志で」何かを始めようとするのは、難しくて当然なのだろう。
だからこそ何かを始めてしまう仕組みを事前に用意しておいて、それに乗るだけで思い通りの行動を取れるように準備しよう、という話のように思う。まだそこまで読めていないので、正確な所は分からない。

今日はできれば、ちゃんと11時に寝たい。
と思ったのだけど、よく考えると自分は「11時にベッドに入る」という行動を「自分の意志で」実現させようとしていて、それってつまり上記の本にある負けパターンに自ら嵌りに行っているんじゃないかなと、この文章を書きながら気づいてしまった。

11時にベッドに入らないとPC前の椅子から電気が流れるようにしておこうか。でもそれだと、作るのはワクワクするけど使う時にはワクワクできない気がする。いつもこんなことばかりを考えているから、気づいた時には時間が無くなってしまっている。

安くて美味しいもの

安かろう悪かろう、という言葉がある。

値段が安いものはそれだけ質も悪いだろう、という意味の言葉だけど、その点牛丼チェーン店は凄いなって思う。

どのチェーンに行っても500円もせずに牛丼が食べられるし、味も結構美味しい。少し奮発すれば大盛りになったり、キムチとかチーズとかネギとかいろんなものを乗せることができる。

すぐに出てきたのは「牛丼チェーン」だったけど、よく考えれば他の丼ぶり系のチェーンとか、もしくはロッテとかマックみたいな安いファストフード店とかも、やっぱり凄いと感じる。

すき屋のとろ~り3種のチーズ牛丼が食べたい。
めちゃくちゃ美味しいのでチーズ好きな人はぜひ食べに行ってみて欲しい。

www.sukiya.jp

すぐやる人に、自分はなりたいんだろうか

久しぶりの記事。

特に書きたいネタがある訳ではなくて、つい先ほど久しぶりに隣駅の本屋に出かけ、仕事で必要な本を見繕っていたところ近くにあったこの本が気になり、ふと手に取ってしまった。

「すぐやる人」と「やれない人」の習慣 (アスカビジネス)

「すぐやる人」と「やれない人」の習慣 (アスカビジネス)

後回しにしないですぐにやること。
継続すること。

このブログの過去記事には、そういった綺麗な、そして大事な事を沢山書いてきた。

一時期は結構良い感じに、早寝早起きして毎日運動して勉強して、そして遊んだりもするサイクルを毎日回せていたのだけど、一度仕事が忙しくなってペースが乱れてしまった後はだらだらと過ごすことが増えてしまって、結果として元に戻すことができていない状態だったりする。

そして「後回しにしてしまう」というのは自分が何年も前から自覚していて、でもちゃんと治せていない事のうちの1つであり、だからこそ冒頭の本のタイトルのような言葉を見るとつい興味を惹かれてしまうのだった。

この本の第1章「思考編」の1番目はこんなタイトルだ。

すぐやる人はラクに自分を動かし、やれない人は無理やり自分を動かそうとする。


自分はまだ、自分をラクに動かす方法を知らない。
だからよく行動するために「頑張らなきゃ」と思うし、そう思っている時は大体動き出すまでにかなりの時間がかかってしまう。

自分がすぐ動けるようになるには、何を用意すれば良いんだろうか?
そもそも本当に、自分はすぐ動ける人間になりたいのだろうか?

そういう所をはっきりさせて、後悔しない人生を送れたら良いな、と思ってこの本を買ってみた。

これから少しずつ、読み進めてみよう。

そういう人生、どういう人生

自分は今思い返すと、かなり運の良い人生を歩んできた気がする。

周囲の人には恵まれてきた気がするし、数年ごとに仕事上のチャンスが巡ってきた気がするし、よく思い返しても、悪くない人生を送ってきていると思っている。

しかし、それは一体いつ「悪くない」と判断できたのであろうか。

自分が何か人生の判断をした時、それは大きな判断であろうことは分かっていたとしても、それが「良い判断かどうか」というのはその場ではよく分からないことが多い。

大きければ大きいほど、良いか悪いかの判断材料も多く複雑になっていき、結局判断はできない状況に陥る。

ただ、一定の、切りの良いタイミングになってから振り返ると、そこには「あの判断は良かったのか」という過去への問いに対する、ある程度の明確な答えが見えていたりもする。

私の場合は、今までの人生の転機の数に対して、「その時の判断を良かったとできる回数」が結構多いということなのだと思われる。

その当時の私になって考えると、大抵大した理由もなく勢いで考えて行動していた記憶がある。

でも、今改めて考え直しても、その判断は大体「そうして良かったな」と思える方を選択できていたように感じる。

これは、よく考えるととても幸せなことではないだろうか。

過去を見て不満を言わずに済んでいること。

これは、もしかすると「現状に不満を言わずに済んでいること」よりも、実はもっと難しくて運のよい人生なのかもしれない。

そういう人生を、今までは歩いてこれたのだと思っている。

だとしたら、自分のこれからの人生は、一体どういう人生になるのだろう。

答えの出ない問い。いつか答えの出る問い。むしろ、「いつか答えを作る問い」とも言えるかもしれない。

それが、今自分が生きている、この人生のような気がする。

草を生やす、という言葉を生んだのは誰か

w←これを草と呼び始めたのは一体誰だろう。

おそらくネット上の誰かだろうが、もしかするとその「誰か」は特定の1人ではないかもしれない。

どういうことか。その答えは自分の日常にも眠っている、世の中ではよくある事に由来する。

例えば、私は最近パズドラをやっていて、「ヨグソトース」というモンスターを知った。

初めて見たその時から、私の頭の中にはずっと「ヨーグルトソースみたいだな」という無意識な連想がなされ、それが中々離れない。

かといって、それを周囲に漏らしたことは無かったのだが、数日経ってから嫁からこんなことを言われた。

「ヨグソトースっているじゃん?あれヨーグルトソースみたいだよね」

更に、それと同じような発言はこのプレイ動画の中でも見られる。

試してはいないが、「ヨグソトース ヨーグルトソース」とGoogle先生に聞けば恐らく沢山の答えが返ってくるのだろう。

このように、ある1つの物事を別のものに例える言葉は、誰か特別な人間が特別な力をもって作り出すのではなく、日常的な生活の中で様々な人々が無意識に連想していった結果が世の中に滲み出して来た結果だと捉えることができる。

そう考えると、単一の「w」ではなく「wwwwwww」と連続している小文字のダブリューを見て、それを「草のようだ」と感じた人間は恐らく世の中に沢山いて、その多くの人たちの共通認識がインターネット上での新しい言葉遣いとして発展し、より多くの人たちに使われるようになっていったのだと思われる。

なんと面白い仕組みだろうか。



ちなみに、私が以前作った「カーソルを乗せると動き出す芝刈り機」の実装はこちらです。

See the Pen Grass Cutter by masaoblue (@masaoblue) on CodePen.